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【プロ野球】メジャーリーグにFA移籍した選手の初年度の成績を調べてみた(セリーグ投手編)

野球が好き!

セリーグ球団所属から海外FAで移籍した投手の一覧です。

読売ジャイアンツ

ジャイアンツから海外FA権によりMLB移籍した投手は2名です。

上原 浩治 (2009年からボルティモアオリオールズ)

巨人最終年MLB初年
登板数2612
勝利62
敗戦54
セーブ10
ホールド50
奪三振7248
防御率3.814.05

大学から1998年ドラフトにて逆指名で巨人入団。初年度から20勝を挙げ最多勝・沢村賞を受賞する。その後は2002年に2回目の最多勝・沢村賞を獲得するも徐々に成績が低下。2007年・2008年は抑え・セットアッパーの役割を担うようになった。2008年オフに海外FAにてボルティモアオリオールズに移籍。先発として期待されるも初年度は怪我もあり12試合の登板で上記の成績。2年目以降は中継ぎやセットアッパーとして活躍をはじめた。その後レンジャーズ・レッドソックス・カブスで中継ぎ抑えてとして活躍。レッドソックスでは2013年にワールドシリーズ制覇し胴上げ投手となった。2018年巨人に復帰し、2年目の途中で現役を引退した。現在は野球解説者だけでなくYoutubeでも活躍している。

高橋 尚成 (2010年からニューヨークメッツ)

巨人最終年MLB初年
登板数2553
勝利1010
敗戦66
セーブ08
ホールド03
奪三振126114
防御率2.943.61

社会人から1999年ドラフトにて逆指名で巨人1位入団。初年度から先発として活躍、2006年は怪我もあり抑えに回る時期もあったが翌年2007年は先発として14勝、防御率2.75で最優秀防御率のタイトルを獲得した。2009年オフに前年の上原投手に続き海外FA宣言でニューヨークメッツに入団。先発・中継ぎ・抑えとフル回転し53試合に投げ10勝の活躍を見せた。しかし、メッツを1年で退団した後、エンジェルス・パイレーツ・カブス・ロッキーズに3年在籍するも2年目に4勝を挙げた以外は勝ち星を挙げられずロッキーズではメジャー復帰できないまま自由契約となり横浜DeNAに国内復帰となった。DeNA2年で1勝も挙げられず現役引退。現在は野球解説者。

阪神タイガース

タイガースから海外FA権によりMLB移籍した投手は2名です。

藪 恵壹 (2005年からオークランドアスレチックス)

阪神最終年MLB初年
登板数1940
勝利64
敗戦90
セーブ01
ホールド1
奪三振7544
防御率3.024.50

社会人から1993年のドラフトで逆指名で阪神入団。初年度から先発として9勝を挙げ新人王にその後も先発として活躍するも、負け越しが多く、95・96・99年は負け数がリーグ最多となっている。2004年オフにFA宣言し、オークランドアスレチックスに移籍。移籍初年は中継ぎとして40試合投げ上記の成績を残すも次年度は契約されず退団。2006年ロッキーズと契約するも開幕前に退団し、メキシコリーグへ。2007年は完全無所属となるも2008年にサンフランシスコジャイアンツでメジャー復帰。3勝を挙げるも、翌年途中で解雇となり無所属になりその後2010年7月下旬に楽天に入団し日本復帰するも活躍できず、戦力外通告を受け現役を引退した。現在は野球解説者。

藤川 球児(2013年からシカゴカブス)

阪神最終年MLB初年
登板数4812
勝利21
敗戦21
セーブ242
ホールド21
奪三振5814
防御率1.325.25

高校から1998年ドラフト1位で阪神に入団。2年目に初登板したが2004年までは目立った活躍はできず。2005年からセットアッパーとして活躍しその年のセリーグ制覇に貢献。2007年からは抑え投手として2007年と2011年に最多セーブを記録。2012年に海外FAにてシカゴカブスに入団した。移籍初年度開幕戦でセーブを挙げたが、右ひじの故障もあり15試合の登板。翌年も12試合の登板にとどまり、オフにレンジャーズ移籍するも5月中旬には自由契約になり日本帰国、四国ILに所属した後翌年から阪神に復帰しセットアッパーとして活躍、2020年で現役を引退し今年からは解説者として、そして阪神の特別補佐として活動する予定。

横浜(DeNA)ベイスターズ

ベイスターズから海外FA権によりMLB移籍した投手は2名です。

佐々木 主浩 (2000年からシアトルマリナーズ)

横浜最終年MLB初年
登板数2363
勝利12
敗戦15
セーブ1937
ホールド0
奪三振3478
防御率1.923.16

大学から1989年ドラフトで横浜大洋にドラフト1位で入団。1年目から1軍で先発登板していたが、2年目に抑えに抑えに転向し17セーブ。その後も抑え投手として95年から98年まで4年連続最多セーブに輝くなどハマの大魔神として活躍した。99年オフにFAでシアトルマリナーズ移籍。初年度から抑え投手として活躍し新人王に輝くなど活躍。4年間で129セーブを挙げ、家族の都合もあり帰国して横浜復帰した。横浜に2年在籍し引退。現在は解説者をしながらヴィルシーナなどのG1馬の馬主としても活躍している。

小宮山 悟(2002年からニューヨークメッツ)

横浜最終年MLB初年
登板数2425
勝利120
敗戦93
セーブ00
ホールド0
奪三振7433
防御率3.965.61

大学から1989年のドラフト1位でロッテ入団。初年度から活躍するもチームの低迷期という事もあり最多敗戦投手になることも多かったが1997年に最終週防御率を獲得。しかし、1999年オフに移籍に関してチームと揉め自由契約に、横浜に移籍。横浜では2年目に12勝を挙げFAでロッテ時代のボビーバレンタイン氏が監督を務めるニューヨークメッツに移籍した。初年度は中継ぎで登板するも1勝も挙げられず、自由契約になり2003年は解説者をしながら現役復帰を目指すも叶わなかったが、2004年にバレンタイン監督が復帰したことからロッテと契約。2009年まで現役ですごし引退した。引退後は野球評論家などを務め、現在は母校の早稲田大学野球部監督をしている。

広島東洋カープ

カープから海外FA権によりMLB移籍した投手は2名です。

黒田 博樹 (2008年からロサンゼルスドジャース)

広島最終年MLB初年
登板数2631
勝利129
敗戦810
セーブ00
ホールド0
奪三振123116
防御率3.563.73

大学から1996年ドラフト逆指名2位で広島カープ入団。初年度から先発として23試合に登板するも本格的に活躍となるのは2000年から不振だったカープにおいて2005年には15勝で最多勝、2006年には防御率1.85でタイトルを獲得。2007年オフに海外FAでドジャースへ移籍した。ドジャース初年度も先発として31試合に投げ9勝10敗。ドジャースで4年ヤンキースで3年先発投手として活躍しドジャース3年目の2010年から5年連続2桁勝利を挙げた。MLBでの活躍が見込まれる中、広島に復帰し。2年連続2桁を挙げ日米通算200勝を達成。チームの25年ぶりのセリーグ制覇に貢献し現役を引退した。現在は解説者。背番号15は広島の永久欠番となっている。

高橋 建 (2009年からトロントブルージェイズ)

広島最終年MLB初年
登板数2625
勝利120
敗戦83
セーブ00
ホールド0
奪三振7433
防御率3.965.61

社会人から1994年ドラフト4位で広島に入団。1年目から中継ぎ・先発で登板。チームの低迷期という事もありタイトルには届かなかったが2008年までチームの主力として登板を続けたのち、2008年オフに海外FA権でニューヨークメッツとマイナー契約。4月にメジャー昇格となり40歳でのメジャーデビューとなった。28試合中継ぎとして登板するも契約解除となり、広島復帰。しかし1年で引退となった。現在は阪神タイガースコーチ。

中日ドラゴンズ

ドラゴンズから海外FA権によりMLB移籍した投手は1名です。

川上 憲伸 (2009年からアトランタブレーブス)

中日最終年MLB初年
登板数2032
勝利97
敗戦512
セーブ01
ホールド10
奪三振112105
防御率2.303.86

大学から1997年ドラフト1位逆指名で中日入団。初年度から14勝を挙げ新人王に輝く。その後低迷する時期もあったが2004年、2006年に17勝で最多勝に輝く。2008年オフに海外FAにてブレーブスに入団。移籍初年は32試合登板し7勝を挙げるも、2年目は先発として16試合計18試合に登板し1勝10敗と奮わず。3年目はメジャー昇格ならずシーズン終了。2012年に中日復帰するも怪我等あり成績は上がってこず、2015年オフに中日を退団。その後も解説者をしながら現役復帰を目指したが2017年3月に引退表明。現在は野球解説者。

東京ヤクルトスワローズ

スワローズから海外FA権によりMLB移籍した投手は3名です。

吉井 理人(1998年からニューヨークメッツ)

ヤクルト最終年MLB初年
登板数2829
勝利136
敗戦68
セーブ00
ホールド
奪三振104117
防御率2.993.93

高校から1983年にドラフト2位で近鉄バファローズ入団。2年目に1軍登録され4年目の1987年に初勝利。88年からは先発・抑え・中継ぎとして登板し1988年には最優秀救援投手のタイトルを獲得している。94年オフにトレードでヤクルトへ移籍。ヤクルトでは先発投手として3年連続2桁勝利を挙げ、97年オフにFAでニューヨークメッツに移籍した。移籍初年から先発として29試合に登板し6勝を挙げる。その後もロッキーズやナショナルズで計5年メジャーで活躍。その後はオリックス・ロッテで5年間現役を続け2007年に引退。引退後は日本ハム(2回)、ソフトバンクでコーチを歴任し現在はロッテでコーチをしている。

高津 臣吾(2004年からシカゴホワイトソックス)

ヤクルト最終年MLB初年
登板数4459
勝利26
敗戦34
セーブ3419
ホールド4
奪三振2650
防御率3.002.31

大学から1990年度ドラフト3位でヤクルト入団。93年から抑えとして活躍し20セーブでチームのリーグ・日本シリーズ制覇に貢献している。94年には最優秀救援投手。その後は不安定な時期もあったが1999年から2003年までのシーズンで3回の最多セーブを記録し2003オフに海外FAでホワイトソックスに移籍した。初年度から抑えとして59試合に登板し19セーブ4ホールドを記録し活躍したが、2年目調子を崩しシーズン途中にメッツに移籍。しかし、ホワイトソックスがワールドシリーズを制覇しチャンピオンリングは貰えたが、選手本人はこの年に退団し、ヤクルト復帰。しかし怪我もあり2年で戦力外通告を受けた。その後、アメリカマイナーリーグや韓国・台湾・独立リーグなどでプレイし2012年に現役引退。現在はヤクルトスワローズの監督である。

五十嵐 亮太(2010年からニューヨークメッツ)

ヤクルト最終年MLB初年
登板数5634
勝利31
敗戦21
セーブ30
ホールド292
奪三振4425
防御率3.187.12

高校から1997年ドラフト2位でヤクルト入団。2年目から中継ぎ・抑えとして活躍し2004年には66試合登板し、37セーブを挙げ最優秀救援投手のタイトルを獲得。その後はセットアッパーとしての役割を中心に活躍し2009年オフに海外FAでニューヨークメッツに入団した。メッツ初年度は途中マイナー降格するも上記の成績を挙げる。2年目も開幕はマイナーで迎えるが、45試合登板し4勝。しかしオフい契約まとまらずパイレーツとマイナー契約するもメジャー昇格ならずトレードでブルージェイズにしかし2試合のみの登板でヤンキースに移籍。ヤンキースでも2試合のみの登板で2012年オフにソフトバンクへ移籍し国内復帰となった。復帰後は中継ぎとして活躍し、2019年からはヤクルト復帰し2020年に引退。2021年からは解説者として活動する予定。

まとめ

全部で12名。どの選手もチームの柱として先発・抑えとしてタイトルを獲った選手がほとんどです。しかし、初年度から活躍は難しく2年目以降はチームに残るのがこんなに難しいのかと思う程です。その中で5年連続2桁勝利を挙げた黒田投手の実績が輝いています。

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