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【ウマ娘】スパルタ調教の最高傑作2冠馬ミホノブルボン

競馬が好き!

ウマ娘プリティーダービーで「ミホノブルボン」がピックアップされました。

ウマ娘プリティーダービー ホームページより抜粋

では、実際のミホノブルボンはどんな馬なのか。最後までご覧ください!

ミホノブルボンについて

生い立ち

1989年4月25日に北海道門別町の原口牧場という小さい牧場で生まれています。

名前の由来は「ミホノ」は冠名。

ブルボンは「16世紀末からフランスに栄えたブルボン王朝」というところから名づけられています。

血統はお世辞にもいいものではなく、ミホノブルボンは700万円というサラブレッドとしては格安な値段で取引されていました。

ただし、子のミホノブルボンの活躍後この血統評価も変わるので面白いものです。

血統

父マグニテュード

父はミルリーフ系の種牡馬です。

同時期にミルジョージ(イナリワンの父)という同じ父を持つ種牡馬がおり、その代りを期待されていました。

マグニテュードは6戦未勝利でしたが父はMill Reaf(英ダービー、凱旋門賞等)で母はAltesse Royale(英1000ギニー、英オークス)で超良血でした。

日本でもミホノブルボン以外に、エルプス(桜花賞)、コガネタイフウ(阪神3歳S)、マサラッキ(高松宮記念)を輩出しています。

母はカツミエコー(母父シャレー)

母は地方競馬で1勝。母父も目立った活躍場はいません。

ミホノブルボンは初めての子でした。

しかし母の子でミホノブルボン以外の活躍馬はいません。

血統表

母系を見て「カミヤマト」という馬名がありますが、カミヤマトの妹が「スターロッチ」は日本が誇る名牝系です。

スターロッチの子孫には「サクラバクシンオー」の父サクラユタカオーなどがいます。

現役時代(馬齢は現在、レース名は当時に合わせています)

戸山厩舎に入厩。その他フジヤマケンザンなどを育てた調教師です。

特徴はハード調教で、ミホノブルボンは恵まれた健康さを武器に坂路調教で鍛え上げられデビュー時には評判馬になっていました。

本馬は2歳9月7日デビュー。距離は1000メートルと短距離からのデビューとなりました。

新馬戦(中京競馬場 芝1000メートル)

デビュー戦は1.4倍の圧倒的1番人気。

短距離戦では絶対的不利な出遅れとなりながら最後の3Fを33.1という鬼脚で二着に1馬身1/4差をつけ圧勝します。

500万下(1勝クラス)(東京競馬場 芝1600メートル)

11月下旬に条件戦で2戦目。1.5倍の圧倒的1番人気。

先行抜け出しから、2着に6馬身差をつけてこのレースも圧勝します。

朝日杯3歳S(京都競馬場 芝1600メートル GⅠ)

初重賞挑戦はGⅠ、しかし1.5倍の圧倒的1番人気。

2番人気のヤマニンミラクルにハナ差まで詰め寄られるも辛勝。3連勝でGⅠ制覇となりました。

スプリングS(中山競馬場 芝1800メートル GⅡ)

3歳初戦は2番人気。

朝日杯で詰め寄られたこともあり、距離への不安がささやかれたものでした。

しかしこのレースで逃げて2着に7馬身差の圧勝。

このレースには、4着ライスシャワー(菊花賞・天皇賞春など)、5着マチカネタンホイザ、12着サクラバクシンオー(スプリンターズステークス)など後に大レースで活躍する馬もたくさん出ています。

皐月賞(中山競馬場 芝2000メートル GⅠ)

前走の圧勝から圧倒的1番人気1.4倍にてクラッシク第1弾皐月賞に出走。

このレースでも逃げて2着ナリタタイセイに2馬身半差をつけて圧勝。

無敗の皐月賞馬に輝きます。

東京優駿<日本ダービー> (東京競馬場 芝2400メートル GⅠ)

ダービーは大外枠でやはり距離不安説もあったが2.4倍の1番人気。

このレースも逃げて2着ライスシャワーに4馬身差をつけて圧勝します。

前年のトウカイテイオーに続く2年連続の無敗の2冠馬が誕生しました。

京都新聞杯(京都競馬場 芝2200メートル GⅡ)

無事夏をこしシンボリルドルフ以来の無敗の3冠に向けてこのレースから始動。

圧倒的1番人気1.2倍に答えて2着ライスシャワーに1馬身1/4差をつけて勝利しました。

しかしライスシャワーとの差が4馬身から縮まってましたね・・・

菊花賞(京都競馬場 芝3000メートル GⅠ)

距離不安説がありましたが、無敗の3冠馬の期待もあって1.5倍の圧倒的1番人気。

しかし、結果は1馬身1/4差をつけられ敗戦。

勝ったのはライスシャワー。

この後、メジロマックイーンの天皇賞春3連覇を阻むなど名ステイヤーとして活躍する本馬にはこの距離ではかないませんでした。

このレース後ジャパンカップ出走を目指すも脚部不安を発症し休養にはいります。

骨折等もあり休養が長引く中、管理していた戸山調教師が病死し転厩などするも結果的に菊花賞が最後のレースとなりました。

1994年1月に引退を発表し、種牡馬入りしました。

種牡馬として

残念ながら、種牡馬としては2歳のオープンレースを勝ったナムラライジン程度しか出せず、2017年に28歳でなくなりました。

まとめ

種牡馬としては血が残せませんでしたが、戸山調教師のハードトレーニングの最高傑作の名馬として後世に受け継がれていくことになるでしょう。

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